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人生朝露

人生朝露

新井白石と天地創造。

『ジーザス・キャンプ(Jesus Camp)』(2006)
ジーザス・キャンプを公開しているので、今日は創世記と日本人について。

参照:「松嶋×町山 未公開映画祭」公式サイト
http://www.mikoukai.net/

YouTube 『ジーザス・キャンプ アメリカを動かすキリスト教原理主義 』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=FURfITyq2K8

当ブログ 「ジーザス・キャンプ」の予習・復習。  
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200905160000/

新井白石。
というわけで、新井白石(1657~1725)であります。

参照:Wikipedia 新井白石
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BA%95%E7%99%BD%E7%9F%B3
新井白石という人は、それこそ中華風日本人の典型という人でして、儒教の教えをベースに思索し、行動できる、今の日本では、なかなかいないタイプですね。

新井白石は孔子の言う、
孔子。
「子不語怪力亂神。」(『論語』 述而第七)
→孔子は怪異、暴力、變亂、鬼神について語ることはなかった。

「樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。」(『論語』 雍也第六)
→樊遅は知について質問した。孔子はおっしゃった。「民の義に務め、鬼神を敬いながらも遠ざける、これを知という」。ついで、仁について問うと、孔子はこうおっしゃった。「仁者はまず難事を先にし、後に報酬を得る。これを仁という」。

という考えに忠実でして、彼の『鬼神論』とかは、宗教に対する不信の極ですね。仏教批判とかも強烈です。で、その新井白石が、1709(宝永6)年にイタリアからやってきたシドッチという宣教師と面談してます。すでに鎖国が確立していまして、禁教も遠い昔のこと。新井白石自身もキリスト教という存在について、ほとんど知らなかった状態で出会ったようです。

・・・ここで前提知識。当時ヨーロッパでは、プロテスタントと言われる人々が急増しておりまして、カトリックとしては警戒を強めていたんです。そこでカトリックの人々としては、ヨーロッパ以外でのカトリックの信者の増大を考えたんです。とはいえ、陸路で東に行こうにも、東方正教会はあるし、イスラム教国もある。しかし、海路を使えば新大陸の住民がいるらしいし、イスラム化していないアジアの国はたくさんある。じゃ、ってことで船に乗ってやってきたわけです。ミッションっていうくらいですから、いかにキリスト教徒を増やすか、ということが最大の目的なので、資金源を確保するためにも、奴隷売買も武器の売買も黙認。そもそも「新大陸の先住民が人間か」というところで悩むような方々なので、目の前で非人道的な所業がなされようとも、異教徒は人間ですらないので問題なし。「宣教師は植民地支配の尖兵である」という当時のアジアの人々の見識を間違っているとは思っていません。ラス・カサスなんて大例外。キリシタン大名が神社仏閣を偶像崇拝として燃やすとか、先祖伝来の風習をキリスト教の教えで捻じ曲げるとか、そういう文化的な実害なんてまだかわいいものです。

参照:奴隷貿易
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93

バルトロメ・デ・ラス・カサス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B9

ただし、宣教師が、当時の西洋人の中では有数の知識人であったことは紛れもない事実で、特に地理、天文の自然科学の知識は当時の世界でも最高級のもの。ちゃんと勉強なさっておいでですよ。

海って怖いんだよ。
もちろん、こんなのとかは信じていません(笑)。

シドッチも、かつてキリスト教が否定し弾圧してきた「地球が丸いこと」を当然のように教えますし、白石もその考え方を受け入れています。暗黒時代の西洋人とはやや毛色が異なっているのも事実。

参照:Wikipedia 初期の世界地図
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%9C%B0%E5%9B%B3

暗黒時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E6%99%82%E4%BB%A3

こう見ると、プトレマイオスってすごいわ。

新井白石。
そうですよ。新井白石ですよ(笑)。宣教師シドッチへの尋問の内容については『西洋紀聞』に収められています。

ここで、白石はシドッチの地理学、天文学の膨大な知識に驚愕します。世界地図から離れたところにいるシドッチが言ったとおりにコンパスを動かしてみると、見事にローマの位置を針が指し示すことができること。時計もない状態で、自分の陰から計算してから正確に時刻を当てること。五つの大陸、七つの海。その東の果てにある黒子のような日本。ついでに、長崎のカステラって、カスティリア王国の名前に由来するんだって!というトリビア付き(笑)。鎖国の時代の日本人にとってシドッチの知識はまさに驚異でして『凡そ其人、博覧強記にして、彼方多学の人と聞えて、天文地理の事に至ては、企及ぶべしとも覚えず。』(東洋文庫『西洋紀聞』より引用)と、新井白石は率直に感動します。

・・・しかし、その後、白石のシドッチへの評価は一変します。

『其教法を説くに至ては、一言の道に近きところもあらず、智愚たちまちに地を易えて、二人の言を聞くに似たり。ここに知りぬ。彼方の学のごときは、ただ其形と器とに精しきことを所謂形而下なるもののみを知りて、形而上なるものは、いまだあづかり聞かず。』(同著より引用)

これが、後々の「和魂洋才」のハシリだといわれる箇所です。自然科学の分野においてのシドッチの博識を賞賛しつつ、キリスト教の教義に入ると「これって怪力乱神じゃんか」と瞬時に見破る。当時の宣教師が半ば意図的に混在させていた宗教と自然科学の情報を、見事に峻別してしまいます。キリスト教のドグマに全く囚われないんです。宗教の奴隷になる気なんてさらさらないし、東洋の魂を売る気もありません。儒教的合理主義に裏打ちされた新井白石の黒光りするような知性・・・ま、朱子学の理に合わんというのが、本音なんでしょうけどね。後半部分は20世紀にはいってようやくハイデガーが指摘したところでして、新井白石は200年ほど早いかな。

新井白石のキリスト教への率直な疑問というのは多々ありますが、基本的にはキリスト教というのは、儒者から見れば仏教の亜流に過ぎない、という視点があります。あとは「神と直接の関係を結ぶと忠孝の精神を保てない」という指摘。これは、数々ある儒者の排耶論でも当然に出てくるもので、孟子の墨子に対する再反論に似ています。でも、当ブログとしては以下の部分に注目いたします。

『番語デウスといふは、此に能造之主といふがごとく、ただその天地万物をはじめ造れるものをさしいふなり。天地万物自ら成るなし。』(同書)。この反論は万物は自化自生するという荘子の思想に似ていますね。『必ずこれを造れるものありといふ説のごとき、もし其説のごとくならむには、デウス、もしよく自ら生れたらむには、などか天地もまた自からならざらむ。又天地のいまだ成らざらぬ時、まづ善人のために天堂を造るの説、天地もいまだ生ぜずして、斯の人すでに善悪の相わかれしも心得ず。(中略)其天戒を破りしもの、罪大にして自ら贖ふべからず、デウスこれをあはれむがために、自ら誓ひて、三千年の後に、エイズスと生れ、それに代りて、其罪を贖へりという説のごとき、いかむぞ、嬰児の語に似たる。』(同書)。

この辺は、キリストさんを神さまにしてしまったが故の矛盾で、一部の仏教徒にも当てはまるものですね。

『さならば其人をして、皆ことごとく善ならしめ、皆ことごとく其教に従わしむるあたはずして、尽世界の人をして、ことごとく皆絶滅せしむるに至るにや。たとひまたデウスといへども人をして皆ことごとく善ならしむる事あたはず、皆ことごとく教ふるにあたはずは、いかむぞまた、天地能造の主とは称すべき。』(同書)。

How many did God kill vs Satan?

参照:How many did God kill vs Satan?
http://www.rationalresponders.com/forum/rook_hawkins/biblical_errancy/3582

これは聖書を読むと痛感するところです。悪魔より世界を創造した神の方が人殺し。いつ読んでもここはおかしいだろ?と思うところです。ま、普通そう思うでしょ?

当時の状況において、鎖国も禁教も正しかったという白石の結論に至る『西洋紀聞』。
面白い本です。

Zhuangzi
「天其運乎?地其處乎?日月其争於所乎?孰主張是?孰維綱是?孰居無事推而行是?意者其有機緘而不得已邪?意者其運轉而不能自止邪?」(「荘子」天運篇 第十四)
→天は巡るのか?大地は止まっているのか?太陽と月は互いに競争しているのか?誰が天の動きを操っているのだろうか?誰が大地の安定を保っているのだろうか?誰が天の巡りの無事を保っているのだろうか?大地は誰かに押し込まれて「止まらされている」のだろうか?天は誰かに操られて「動かされて」いるのだろうか?

・・・次回はちゃんと、紀元前にこんなことを考えていた荘子の話に戻ります(笑)。

今日はこの辺で。


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